グルシャンテ【Guruchanter】

1,アルフレート・レーヴィの小説、「グルシャンテの喚き」の主人公。街一番の歌い手であるグルシャンテが、ある日カラスのような醜い声になったことを周囲に当たり散らして行くうちに、姿形までカラスに変貌してしまう。

2,転じて、才能あるものが才能に溺れ、努力を忘れ、落ちぶれていくことを指す。





『グルシャンテの喚き』 アルフレート・レーヴィ著  丸竹宗一訳



太陽の光がサッと空に広がって行く。

窓から差し込む朝日は柔らかく、爽やかな目覚めを街の人々に与えようとしていた。ベーコンの焼ける匂いがしたかと思うと、パンの焼き上がる匂いがどこからか漂い始める。空腹に誘われて目覚める人々も多いだろう。

野鳥の声に、道ゆく人々の雑音が混じる。その合間を縫って響く歌声までが毎朝の光景だった。

歌声の主はまだ少年であるグルシャンテのものだ。自然に溶け込むような美しい高音は少年ならではだった。彼は孤児だったので、文字も楽譜も読めない。街の住人が善意で音楽を学びに行けと背中を押すが、グルシャンテはいつも「不要なことだ」と言ってはねのけた。才能を信じ切っているのだ。

そのため、ゆきずりの旅人から民謡や軍歌を仕入れては新しい歌を披露する。一度聞けば大抵の歌は完璧に歌い上げることができた。

街の人々はグルシャンテの歌声を愛していた。

「僕の歌が一番だ。僕はムーシカ*1に愛されてる」

彼がどんなに自己中心的で、性悪だろうと、聴衆に金を要求しようとも、彼の歌を聴けば全て許せるような気がするのだ。

まさしく、彼は神に愛されていた。

だが、ある時だった。毎朝の習慣であったグルシャンテの歌声が聞こえてこない。

街の住人はひどく狼狽した。日常が崩れていくような気がして、不安で不安で仕方が無かった。昼過ぎになっても歌声どころかグルシャンテの姿すら見えない。ムーシカに愛された彼は病気も怪我もしたことがなかった。ムーシカに愛されなかった育ての両親と3人の弟は、流行病で10年前に亡くなった。グルシャンテだけが健康だった。

心配になった人々はグルシャンテの家へ向かった。せめてグルシャンテの姿だけでも見れば、この胸騒ぎが解消するのではないかと考えた人々だけが向かった。10人程度の集団で向かった。

一番の年長者がグルシャンテの家の扉を叩いた。「おい、いるのか、グルシャンテ」そう呼んだ。

「うるさいな、放っておいてくれよ」

扉の向こうから聞こえたグルシャンテの声はひどくかすれていた。

「大丈夫か、グルシャンテ。風邪でもひいたのか」

普段の彼の声とは似ても似つかない低い声に、人々はざわついた。ただ善意で声をかける人々を、グルシャンテは中傷する。

「うるさい、うるさいんだよ。汚らしい声め。僕の歌が聞きたいか? それなら荷台いっぱいの金貨でも持ってくるんだな。それなら考えてやるよ。僕は眠いんだ、放っておいてくれ!」

ヒステリックな低音ががなりたてる。グルシャンテは孤児である。誰か世話する者が必要だろう。そう誰かが言ったが、彼は一切を拒絶した。

「別にいらないよ。すぐに治る。そうさ、明日にでも」

きっぱりとそう言われては、人々も諦めるしかない。

「お大事に」と言って立ち去る人々を、ガラガラに枯れたグルシャンテの声が追いかける。

「明日一番に、とびきり良い声で歌ってやる。ありったけの金を用意しておくんだな!」

翌朝、人々は思い思いに顔をしかめて目が覚めた。があがあと耳障りな音が街中に響き渡った。あまりにも大音量で、あまりにも不愉快な音だった。カラスの群れが街に来たのかと、誰もが思った程だ。

実際、カラスの集団を駆除しようと青年隊が音の発生源へ向かったのだ。向かう途中でカラスの声はしなくなっていたが、人々は既に場所に検討を付けていた。

しかし、そこにいたのはグルシャンテただ一人だった。彼の顔色は良く、いつものように不遜な態度で人々に挨拶をする。

「あぁ、なんだ。今日は皆来るのが遅かったな」

何のことだか分からない人々は首を傾げる。どういうことだと口々に疑問を発すると、グルシャンテは馬鹿にするように笑った。

「僕の歌をタダで聞けると思ったのか? 今更誤摩化すなんて卑しい奴らめ。さっさと金をよこせよ」

ようやく人々は先程の不快音がグルシャンテのものだと気が付いた。そうと分かるや否や、人々は怒りを露わにする。グルシャンテに石を投げつける者もいた。彼の声以上に汚く罵る者もいた。

グルシャンテは意味も分からず、けれど小馬鹿にするような態度は崩さなかった。

「卑しい、卑しい奴らだ。はした金も惜しくなったか。ムーシカはそういう奴らを許さないぞ! 音楽を解さない下劣な奴らめ!」

それは人々の怒りをただただ煽るだけだった。人々の目つきがどんどん憎悪に変わっていくのが見て取れたのか、グルシャンテはそのまま毒づきながらそそくさとその場から逃げ出した。血気盛んな若者の数人が、拳を振り上げ彼を追いかけようとする。

年長者はそれを制して呟いた。

「哀れなグルシャンテ。見なさい、彼の右手から羽が生えている。カラスの羽だ」

立ち去る彼の後ろ姿を、人々はいつまでも哀れむように眺めていた。

それから、何度か朝がやってきた。住人にとってはどれも不愉快な朝だ。いつの間にか、グルシャンテは朝の習慣をなかったことにした。そうせざるを得ない状況に陥ってしまったのだ。

いつものように歌ってみせようとすると、聴衆ではなく暴徒がやってくるようになった。行きつけの酒場でも歌わせてもらえなくなっていた。グルシャンテが歌おうとすると、必ず誰かが妨害する。

仕方なく、グルシャンテは自分の家にこもって歌うことにした。

体の異変には彼も気付いていた。もちろん、それは声のことではない。彼は自分の声がどのように変化したか、少しも理解していなかった。彼が気付いていたのはただ一つ、皮膚の異変だった。体中から羽が生えて来たのだ。カラスのような、真っ黒の。

グルシャンテは医者に診て貰いたかったが、暴徒に襲われ、歌声を罵られることに耐え切れなかった。そもそも街の連中の助けを借りるような真似、プライドの高い彼にできるはずがなかった。

日に日にグルシャンテはカラスに近づいていく、真っ黒な羽に覆われる。声はどんどんかすれていき、とうとうカラスとも呼べない雑音しか発せないようになっていった。仕方なく街の連中に助けを求めようにも、助けの言葉すら喋れなくなっていた。

焦っていた気持ちも、困惑していた感情も、もはやどこにも存在していなかった。

があ、と一鳴きすると、グルシャンテはそのまま窓から飛び立っていった。



*1 スヴァタヴァ神話に出てくる音楽の神のこと。嫉妬深く、傲慢なことで有名。




130727 グルシャンテの喚き [藤見:home]
TRAUMENTS企画『Egg Heights』101号室 参加作品


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